【No.3】「精神的に自立して生きて行く力」を養う事!!
皆さま おはよ〜ございます!!
今日はセロ流「夢を叶える方法論」の第3話です。
大分間が空きましたが、前回は夢や目標に向かって行く上で一番大切な
【No.2】「自分の道」を探し出す事!!
についてのブログを書きましたので、今日は見出した「自分の道」を逞しく歩んで行く上でとても大事な
「精神的に自立して生きて行く力」を養う事
の重要性について、長々と熱〜くお話して行きたいと思います。
前話でお話したように僕は「家庭」=「社会」そのものであるかのような、厳格で窮屈で全く融通の効かない銀行員家庭に生まれ育った事による影響で、アーティスト活動を始めた当初から「作家として生き残って行く事」に常に強い危機感やハングリー精神を持って活動して来ました。だからこそ「若手作家」と呼ばれる時代からプロを目指すために必死にいろいろな先生や先輩や業界関係者方に食らい付いて行き、自分が目指す世界(業界)の現状について学んで来ました。
その結果アーティスト活動を始めて比較的早い時期に
「これはとても自分にはやって行けない世界だなぁ〜・・・。」
という事を身を以て知ってしまう厳しい現実をいろいろと目の当たりにさせて頂いたり、周囲の「大人」と思っていた方々から、とてもブログ等では話せないような大人げない衝撃的な出来事を数多く経験させて頂き、数え切れない程の屈辱的な思いを噛みしめ、何度も悔し涙を流しながら「社会」というものを身を以て学ばせて頂いて来ました。
当時はまだ「若手作家」であり、純粋に「社会人」としての経験値も浅かった僕にはあまりにショッキングで、どれもが「いつか覚えてろよ!」・・・と根に持っている出来事(笑)ですが、今思えば早い時期に厳しい社会の現実をいろいろと見させて頂き、身を以て教えて頂いた事にとても感謝しています。結果的にそのような多くの出来事が、何も知らぬまま誤った道に進んで行ってしまう事に歯止めをかけてくれた訳ですし、今のように
どんなに意地悪く叩かれようが蔑まれようが、決して折れずにブレない逞しい自分
を作り上げてくれたのですからね。
僕はね、世間に夢や希望を与えて行く「アーティスト」という特殊な仕事に就かせて頂いている事から、見た目はそれなりに若作りをしているし、全般的にあえて
世間擦れしていない宇宙人的な雰囲気
を醸し出すようにセルフプロデュースをしていますが、実は
中身はゴリゴリの「昭和の男」(セロおっさん)
なのですよね(笑)
それにハッキリ言って世間一般の同世代やちょい上の方々よりも、仕事を通じて普通では有り得ないようなもの凄い社会的地位の方々や様々な職種の方々と関わらせて頂き、誰も生き残り方を教えてくれない中、自分の「人間力」や「感覚」一つを頼りに、とてつもない戦場を生き抜いて来ている戦士なので、かなり逞しい性格をしているのですよね(笑)
話がブレかけたので戻しますが、過去の数々の「衝撃的な出来事」の中でも特に大きなショックを受けたのは、
「アートとお金」
に関わる悲しい現実を比較的早い時期に知ってしまった事でした。
そもそも一般的には
アーティスト=作品を売って食べて行く職業
と思われがちですが、実際はそのように簡単には行かないというのが現状なのですよね。
よく作家さんが展覧会でお客様(ほとんど身内や友人)に安価な作品を買って頂いた事を「作品が売れた!!」と言って自慢げにはしゃいでいるのを目や耳にしますが、世の中(社会)で「物が売れる」というのは、その物を売る事で商売が成り立ち、生産者やその物を売り出す事に関わった全ての方々が皆潤って行くという事が前提です。
よってとても原価回収さえ出来ていない(赤字)作品を安価な価格で売り出し、例え有り難い事に買って下さる方がいらっしゃったとしても、
それは決して「作品が売れた」という事ではなく、単に「作品が動いた」というだけの事
なのです。「生涯にいくつか作品が動く」という事と、「コンスタントに生活をして行く」という事は全く違うので、まずここを勘違いしてはいけませんよね。
これはよくある美術界あるあると言うか、その他の難しい職業を志ざす道にありがちな社会あるあるだと思いますが、「何も社会の事が解らない若手のうちがカモだ!」とでも言わんがばかりに、周囲のあまりよろしくない大人たちは「若いうちは作品(才能)を安く売っておかないとダメなんだよ! 将来高くなって行くものなのだから。」等という事を口を揃えておっしゃいます。でもその当時にその類の安易な口車に乗せられて、実際に将来(今現在)作品が高価な価格で扱われて自立した生活を送れている作家さんは、少なくとも僕が知る限りここ20年近く誰一人と言って良い程生まれていないのが現実です。
普通に冷静に考えてみて下さい。たかが一万円そこそこで売った才能が、その人が生きている数十年の間に数千万や数億円の価値になると思いますか? もしそのようになるものであるならば、それはやはり
最初から「数千万や数億円の価値のある才能」
であり、それが「物事の真理」だと信じて僕は生きていますよ。そしてその才能を見抜けるかどうか、または守れるかどうかは、周囲の大人(社会)や自分自身の「品位」によるのだと思います。
まぁ、これはアートに限らず、音楽や芸能関係(タレント・モデル等々)の職業でも同じですよね。そのような特殊な世界を目指す方々がSNS等でよく「◯◯のお仕事をさせて頂きました!」とこれまた自慢げに書いていますが、実際はとても生活の出来るレベルの仕事ではなく、実はみんな影でアルバイト等をしていたり、今ワイドショーでもちょいと騒がれていますが実は結婚していたりして、売れない時代を生き残るライフラインを別の部分で保っていたりするのが現実なのですよね。
それこそ若いうちは「夢を追いかけている」というだけで周囲もおだててチヤホヤしてくれるし体力もあるのでそれで良いのかもしれませんが、年齢を重ねて行くうちに周囲の方々も皆現実的に見るようになり、別に頼んでもいないのに余計な事を言ったり、厳しく意地悪な事を言うようになるものです。そして結局みんな精神的・金銭的な問題で追い詰められ、とてもやって行けなくなってしまい、夢を諦めなくてはならない状況になってしまうのです。
どんな世界を志ざすにも「生きて行く」にはお金が必要不可欠ですからね。
アートの話に戻しますが、このような社会一般の目線や常識に合わせて考えると、大した実績もない若手作家が一年間生活して行けるだけの金額(年間 数百万円)を毎年コンスタントに作品販売だけで賄える訳がありませんよね。それこそある程度活動実績を重ね、世間的にも「アーティスト」として認知された人でも、純粋な作品販売(月々数十点や数百点の作品がコンスタントに売れる事)だけで生活の出来ている人間なんて世界中を探しても殆ど(ゼロと言って良いほどに)存在しないのが現状です。そもそも販売物が食料や日用雑貨等の「生活必需品」ではありませんからね。
仮に作品が1点数十万〜百万円代という金額で買って下さる方がいらっしゃったとしても、それは単に元々裕福な層の人脈に恵まれていたり、出会いのご縁に恵まれている等、生まれ持った運によるものが多く、何も人脈の無いまっさらな状態でいきなり画廊や道端で作品販売をして行く事だけで生きて行こうというのは、夢のまた夢という話になってしまいます。
また、世間の方々はよく簡単に
「アートは海外の方が進んでいるから、海外で発表すれば良いのではないか?」
等と言われますが、これも冷静に考えてみて下さい。
実際に海外に作品を持って行き展覧会を実施するには、渡航費、滞在費等々、それだけでかなりの経費が掛かります。ましてや海外は日本のような貸画廊システムではないので、画廊からお声がかかるようになるまで数年間も修行をしながら生活するだなんて事は、少なくとも一般的な家庭環境に生まれ育った人間にはとても不可能な事ですし、一般的な社会人になれば尚更ですよね。要は海外に行って活動や生活が出来る人は、それだけで始めから既に「裕福な環境」にあるという事なのです。
世間ではかの有名なゴッホ様などの影響か、「アーティスト=貧乏」というイメージも社会の一部にはあるようですが、それは本当に本気でプロを目指しているごく一部の人に限った事で、実際のところはかなり裕福な方々の趣味をベースに支えられている世界であるというのが現状です。
それこそ人の苦労も努力も知らずに、ちょっと社会一般とは違う「とんがった生き方」をしている人間を見かけただけで
「お前は恵まれた環境で良いよな!」
等というような捨て台詞や意地悪な言葉を言われてしまうのが、悲しいかな「社会」というものの現実なのですよ。ものすごく「心の器」の大きな方々もいらっしゃいますが、圧倒的に小さな人の方が多いので(苦笑)
僕が「若手作家」と言われる時代にアルバイトをしながらアーティスト活動をしていた時期を知っている友人は、僕がいつも手に小さな「お金手帳」というノートを持ち歩き、細かなところを切り詰めて僕なりに展覧会予算を貯める努力をしていた事をとても印象深く覚えてくれているようですが、大抵はそんな事をしなくても十分に活動をして行ける層の方々がやられているという事を、活動を始めて数十年・・・いや、20年近くの歳月が経った今になってようやく知る事となりました。だから社会でこういう反応や言われ方をされてしまう事も「ある意味仕方のない事だよなぁ〜」・・・と今ではようやく真摯に受け止められる器になるまで育てて頂きました(感謝)
このような裕福な環境でやられている方が多いからこそ、初めから
「何とかしなければ生きて行けない!」(続けて行けない!)
等というハングリー精神が全く無く、当然ビジネス意識も備わらずに、単に「楽しければいいや」的な発想や、更には
「アートでビジネスを考える事=悪」
であるかのような悪しき慣習まで生み出し、必然的にプロフェッショナルが育たない環境や構造を作り上げてしまったのだと僕は思っていますよ。まぁ、ここは完全に僕のいろいろな過去の悔しい思いを織り交ぜた「持論」ですがね(笑)
いろいろな辛い経験や思いがフラッシュバックしてしまい、つい熱く大変長くなってしまったのでそろそろまとめの話に入りますが、では僕自身も含めて、そのような環境のない世間一般の人々はそもそも
「特殊な世界でプロになる事」を目指すという夢を追ってはいけないのか?
・・・と言うと、そんな事が絶対にあってはいけませんよね。
何故ならば、実際のところはどうであれ、一般的には
人間とは皆「平等」である
と、学校や社会教育としてほとんどの人たちがそのように教えられて育って来ている筈ですので。
もし始めから「限られた人間しか目指しては行けない世界」があるならば、その特殊な世界を志そうとした始めの時点で、両親や周囲の大人や学校(先生方)等が「うち(君)の家計ではとても無理だからやめなさい」と中途半端な言い方でなく、若者がきちんと納得できる形で説得し、最初から夢を諦めさせるべきなのです。それこそ中には夢に敗れて自ら命を絶って行く仲間が出て来る程に、本当に
「人命」に関わる重大な事
なのですから・・・。
それでも、例え現実はこれだけ厳しい道だと知らされても
「それでもやりたい!!」
「この道を目指したい!!」
と思うならば、
- どの道を進むのか?
- どうして行けば良いのか?
を真剣に考えるしかないのです。
無い物ねだりをしても仕方ないので、
今自分の置かれている環境の中で「自分が生き残れる方法」は何なのか?
を、必死に考えて模索して行くしかないのです。
目的地に辿り着くルートに長い短いという距離と時間の差はありますが、大きな道には必ず迷ってもそこに繋がる「脇道」があるように、
「どこから進んでも必ず道は繋がっている」
のですから!!
人間とはまず現状や環境に「不満」や「疑問」を感じ、ハングリー精神を持たなければ「考える力」というものが生まれて来ません。
そして「考える力」が生まれなければ当然
「精神的に自立して生きて行く力」
も育まれて行きません。
とにかく周囲から浮こうが弾かれようが叩かれようが、ハングリーになって「生きる力」を養い、精神的に逞しくなって行く事が、
夢を実現して行く上で一番必要なスキル
であるいう事を、特に難しい世界で生きて行く事を志す人は心に刻んで頂きたいと思います。
先程も話しましたが、どんな世界を目指すにしても、自立して生きて行き、自分の表現世界を大きく発展・成長させて行くためには
「お金」を生み出して行く事(動かして行く事)
は必要不可欠なのですから。
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